おもいのままに
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

将来は
夏休みで帰省していた長男は8月のうちに京都に帰り
次男は「一般&職場の部」で助っ人で吹奏楽中国大会に出場したので
それをすませ 私が広島へ講座に行く日に広島へ帰って行った。
2人とも 来週あたりから授業が始まるだろう。


それぞれが帰る前に 親子面談?(親子3人)で話をした。


うちはお寺なので やはり将来は後継ぎを。。。とずっと思っていた。
長男ではないけれどお寺を継いだ夫はもちろん
実家もお寺であり女2人姉妹の私もそれはずっと意識してきた。

でも。。。最初からレールが敷いてあるのは やはりかなりの抵抗があるものだ。
お寺の後継ぎを意識すると共に そのレールに対して抵抗する気持ちも痛いほどわかる。


ずっと長男を見て来て。。。
お寺の後継者という気持ちを少し切り離してやらなければいけないのではないかと思うようになった。
「逃げる」事ばかりを考える癖がついているような気がしていた。

荷が重ければ 誰も背負いたくはない。
けれど どの道を歩んでも荷がないということは絶対にない。


逃げることばかりを考えていると どの道の荷も背負いたくなくなる。
そうなる前に。。どの荷なら背負っても良いと思えるのか。。
そういう目を養って欲しいと思った。


長男には後継ぎの荷を下ろし 卒業後の選択肢を広げてみる事を提案し
次男にも卒業後の自分の道を見据えて生活して欲しいと伝えた。


子供たちが自分の道を見つけて歩んでくれることを切望して話をしたけれど
なぜか。。。私は涙ぐんでしまった。



スポンサーサイト
自分の価値観
次女の友達(Mちゃん)のご両親が離婚された。

長い結婚生活には 山あり谷あり 本当に色んなことがあるし
人間誰しも 縁にふれればどうなっていくのかわからないので
私は離婚は ひとつの結果だと思っている。



離婚 そして 子供たちは即転校という情報が入った次女はかなりショックを受けていた。
幼稚園時代からの友達で 中学校では一緒に吹奏楽部で頑張ってきた。
そして この夏の県大会を乗り越え 一緒に中国大会出場権をもらい
そしてその中国大会が目の前のこの時期だった。



Mちゃんも
「一緒に中国大会に出たい。2学期の体育祭も一緒にやりたい。。
みんなと一緒にいたいんだけど。。おばちゃん どうしたらいいと思う?」
と私に話してくれた。
親御さんには。。。どうしても自分の気持ちを言えないというMちゃん。



中学校の担任の先生に聞くと
「子供さんの事も含めてまだ話し合い段階のようで 学校側が入れるのはここまでのようです。」と言っておられたけれど
中国大会前日という夜に Mちゃんがお母さんと一緒に他県の実家に行ってしまうという情報が入った時には
担任の先生から次女に電話が入り
「みんなに連絡をとってMちゃんの家に行って Mちゃんのお母さんに『中国大会に一緒に出させてください』とお願いしてみろ」
と言われた。


夕方 部活から帰って夕飯も食べず 着替えもしていなかった次女は
友達と連絡を取り合い 友達と約束した時間のぎりぎりまでMちゃんに手紙を書いて
私は男子の保護者に電話をしてMちゃんの家にお願いに行く旨を話した。
結果 男子も女子も集まった。


そのうち担任の先生や教頭先生 他の男の先生も2人来られて見守られる中
Mちゃんの家の前でみんなでお願いした。
お母さん方のおばあちゃんが出て来られて 担任の先生に
「こんなことするのはやめてください」と何度か反発もされた。


けれど頑張ってお願いした結果。
中国大会が終わるまでMちゃんを連れて行くのは待ってくれるという話になった。



夏休みを返上して練習に励んだ毎日。
二度の合宿。
色んな所から色んなパートの講師の方々に来ていただいて教わった日々。



全員で演奏した中国大会での成績は金賞受賞。
「小編成」という少人数部門では全国大会はなく中国大会が最後なのだけれど
後でわかった評価は2位だった。
喜ぶ子供や先生、親たちの姿の中にMちゃんの姿はなかった。



演奏が終わると 結果発表を待つことなくお母さんが迎えに来て連れて行かれたのだった。





大人の私にとってもショックな出来事だったので
子供たちは もっともっとショックだっただろう。



色んな家庭があり 色んな人がいて 色んな考えがある。
だから これはひとつの結果なのだと自分で思いながらも
私はどこかでMちゃんのご両親に腹が立っていた。



離婚するのはしょうがない。。
でも 子供たちを巻き添えにするのは最小限にして欲しい。
せめて半年待ってくれれば Mちゃんも中国大会も体育祭も文化祭も一緒に出来て中学校最後の思い出も出来て
転校ではなく 来春になって県外の高校に入学すれば本人の負担も違うじゃないか。。。と。。
何より 親に気を使って自分の気持ちも言えないMちゃんなのに。。


せめて中国大会の結果発表までだけでも待っててくれないのか。。



「なんで親なら子供の事を考えてやらないのか!」
と。。




けれど。。
Mちゃんの家にお願いに行った翌日。。
中国大会に出発する朝 次女がぽつんと私に言った。
「私 Mちゃんのお母さんにお礼が言いたいんだけど。。
中国大会が終わるまでMちゃんを連れて行くのを待ってもらえたから。
お礼の手紙を書こうかなぁ。。」




次女の真っ直ぐな気持ち。
真っ直ぐな目。




次女は誰が悪いとか 誰のせいだとか そんな事はひとつも考えていない。。



次女の言葉で



何かにつけ「敵・味方」「正・誤」「良・悪」という価値観でモノを見てしまう私が浮き彫りになった。



Mちゃんだけでなく Mちゃんのご両親の気持ちも考える余裕があれば
きっとこの世界を見る目は変わるだろうな。。




8月が終わるのを待たずして 次女は2学期が始まりました。
夏休み終盤から始まった体育祭の準備。
一回り大きくなった次女を見ながら 私はまたひとつ「自分」というものを教えられた気がした。


退院
大切な友達が病院から退院して帰ってきた。
病名は「大腸がん」。
これまでに 「甲状腺がん」「乳がん」を克服してきた彼女。


「いつかまた来ると思っていた。」
そう言う彼女は 大腸がんで入院することも私に淡々と報告してくれた。
仕事の進退をどうするか悩んでいる。。
そんな相談を一度受けただけで 一度も感情的になることはなく
入院までの日々をきちんと丁寧に生活していた。


自分も三度目のがん。
実のお母様は乳がんで亡くなられ
実のお姉さまも三度のがん治療をしておられる。
「いつかまたこんな日が来ると思っていたから。。
私 やりたいことさせてもらってるから。。
いつ来てもいいように覚悟してたから。。」


医学は進歩している。



でもがんという病気がもつイメージはやはり重いように思う。




心の中では嵐が吹くこともあっただろう。
覚悟していると言いながらも 穏やかな日々だけではなかっただろう。

けれど 彼女は凛としていた。





人間 誰も死にたくはない。



けれど



目に見えない体の中で何が起こっているのかわからない。。
今が当たり前と思ってはいけない。。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。