おもいのままに
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自分の価値観
次女の友達(Mちゃん)のご両親が離婚された。

長い結婚生活には 山あり谷あり 本当に色んなことがあるし
人間誰しも 縁にふれればどうなっていくのかわからないので
私は離婚は ひとつの結果だと思っている。



離婚 そして 子供たちは即転校という情報が入った次女はかなりショックを受けていた。
幼稚園時代からの友達で 中学校では一緒に吹奏楽部で頑張ってきた。
そして この夏の県大会を乗り越え 一緒に中国大会出場権をもらい
そしてその中国大会が目の前のこの時期だった。



Mちゃんも
「一緒に中国大会に出たい。2学期の体育祭も一緒にやりたい。。
みんなと一緒にいたいんだけど。。おばちゃん どうしたらいいと思う?」
と私に話してくれた。
親御さんには。。。どうしても自分の気持ちを言えないというMちゃん。



中学校の担任の先生に聞くと
「子供さんの事も含めてまだ話し合い段階のようで 学校側が入れるのはここまでのようです。」と言っておられたけれど
中国大会前日という夜に Mちゃんがお母さんと一緒に他県の実家に行ってしまうという情報が入った時には
担任の先生から次女に電話が入り
「みんなに連絡をとってMちゃんの家に行って Mちゃんのお母さんに『中国大会に一緒に出させてください』とお願いしてみろ」
と言われた。


夕方 部活から帰って夕飯も食べず 着替えもしていなかった次女は
友達と連絡を取り合い 友達と約束した時間のぎりぎりまでMちゃんに手紙を書いて
私は男子の保護者に電話をしてMちゃんの家にお願いに行く旨を話した。
結果 男子も女子も集まった。


そのうち担任の先生や教頭先生 他の男の先生も2人来られて見守られる中
Mちゃんの家の前でみんなでお願いした。
お母さん方のおばあちゃんが出て来られて 担任の先生に
「こんなことするのはやめてください」と何度か反発もされた。


けれど頑張ってお願いした結果。
中国大会が終わるまでMちゃんを連れて行くのは待ってくれるという話になった。



夏休みを返上して練習に励んだ毎日。
二度の合宿。
色んな所から色んなパートの講師の方々に来ていただいて教わった日々。



全員で演奏した中国大会での成績は金賞受賞。
「小編成」という少人数部門では全国大会はなく中国大会が最後なのだけれど
後でわかった評価は2位だった。
喜ぶ子供や先生、親たちの姿の中にMちゃんの姿はなかった。



演奏が終わると 結果発表を待つことなくお母さんが迎えに来て連れて行かれたのだった。





大人の私にとってもショックな出来事だったので
子供たちは もっともっとショックだっただろう。



色んな家庭があり 色んな人がいて 色んな考えがある。
だから これはひとつの結果なのだと自分で思いながらも
私はどこかでMちゃんのご両親に腹が立っていた。



離婚するのはしょうがない。。
でも 子供たちを巻き添えにするのは最小限にして欲しい。
せめて半年待ってくれれば Mちゃんも中国大会も体育祭も文化祭も一緒に出来て中学校最後の思い出も出来て
転校ではなく 来春になって県外の高校に入学すれば本人の負担も違うじゃないか。。。と。。
何より 親に気を使って自分の気持ちも言えないMちゃんなのに。。


せめて中国大会の結果発表までだけでも待っててくれないのか。。



「なんで親なら子供の事を考えてやらないのか!」
と。。




けれど。。
Mちゃんの家にお願いに行った翌日。。
中国大会に出発する朝 次女がぽつんと私に言った。
「私 Mちゃんのお母さんにお礼が言いたいんだけど。。
中国大会が終わるまでMちゃんを連れて行くのを待ってもらえたから。
お礼の手紙を書こうかなぁ。。」




次女の真っ直ぐな気持ち。
真っ直ぐな目。




次女は誰が悪いとか 誰のせいだとか そんな事はひとつも考えていない。。



次女の言葉で



何かにつけ「敵・味方」「正・誤」「良・悪」という価値観でモノを見てしまう私が浮き彫りになった。



Mちゃんだけでなく Mちゃんのご両親の気持ちも考える余裕があれば
きっとこの世界を見る目は変わるだろうな。。




8月が終わるのを待たずして 次女は2学期が始まりました。
夏休み終盤から始まった体育祭の準備。
一回り大きくなった次女を見ながら 私はまたひとつ「自分」というものを教えられた気がした。


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